柔よく剛を制す?
M1のほかの研究室の男から

「○○氏(俺の本名)は柔らかい感じがするよね。そこがいい。男だからといって堅くなければいけないとか、強くなければいけないってのは間違っているぞ」


と飲みながら言われた。



そいつはその日初めて話した奴で直接カムしたわけではなく、というか話かけられた第一声がそれだったのだけどね。まあそいつの仲いい友人がFTMで、俺も友達なんだが、それでそういうことを言ってきたわけだ。


俺が柔らかい感じがするかどうかは分からんけど、男だから堅くなければいけないってのは間違っていると俺も思う。

というか○○であらねばならないってのは本当は無いと思うんだ。


それぞれ自分の目指すものを目指せばいいけど、それに囚われる必要も本当はない。
2009/06/29(Mon) | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(4) | page top↑
人間としてのランク
人間にランクはあるのだろうか?


俺は一部分ではあって、総合的にはないと思う。
そりゃやっぱ学力や体力とかには得意不得意があってランクがつくと思うし、世間で言う権力とか地位にもランクはあると思う。平社員より社長のほうが多くの責任を負っているという部分でその会社においてはランクがうえだろうし、年齢も先に生まれた人ってのは多くの経験をしているのだからランクは上だろう。


だけど総合的にみると結局同じ人間だと思う。

どの部分もすべての人より優れている人も、劣っている人もいないと思うし、若い人も臨機応変さとかは年寄りのひとより勝っているかもしれないし。


それなのにある部分だけをみて自分のほうがお前よりランクがランクが上だって言いたがる奴がいるんだよね。
他の部分はどうなのかよく考えてみろよといいたい。





それだけじゃない。

男が女より上だって誰がきめた?FTMがFTXより上だってだれが決めた?弱い奴が強い奴より上だって誰がきめた?弱い奴は強い奴よりも他人のことを思える力は強いかもしれんじゃん。

ようは同じ人間じゃん。それ以上でも以下でもない。


俺は他人と競うってランクをつけて満足するよりも
過去の自分と比較して常にNO1でいるほうがいいと思うね
2009/06/28(Sun) | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
力とは。
さっき『シンドラーのリスト』をみていたのだが、その中でシンドラーがアーモンに

「殺せる正当な理由がある時に殺さないのが力だ」と言っていた。


殺せるっていう表現は極端すぎるかもしれないけど、殺せるってのを「怒る」とかいうような語句にも置き換えられるだろう。

自分の力を誇示するために怒ったり批判したりするのは本当の力ではない。
本当に力がある人は相手を許したり、受け入れたりすることができると思う。


それが本当の力ってもんじゃないのかな。











久々に『シンドラーのリスト』をみたけど、何回観ても名作だなーっと思う。
すべてのシーンにぐっと来るし、すばらしいと思うけど、その中でも女の子の服だけ赤いシーンはやべえなっと思う。観たことある人はわかると思うけど、多分その二つのシーン(生きてるときと死んだあと)の女の子の服だけ赤いところでシンドラーの心の様子が表現されているというか。表現の仕方が半端なく上手いと思う。CGとかじゃなくそんな技法で人の心が描けるのがすごい。

それとやっぱ最後の
「努力すればあと一人救えたのに、その努力をしなかった」っていってシンドラーが泣き崩れるところかな。あそこのシーンは何回観ても涙がでてくる。

2009/06/28(Sun) | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
何も知らない
最近自分の知識の無さに焦りが生じて色々本を読んでみるけど、読めば読むほどいよいよ焦ってくる。

言葉自身も知っているものは少ないし、知っている言葉についてもそれを理解しているとは到底いえない。


ミッシェル・フーコーは構造主義を唱え、『狂気の歴史』を書いたことや、実存主義で有名なのはサルトルやハイデガーということは覚えていても、構造主義とはなんぞや、実存主義とはなんぞやということは理解していない。
少しでも理解したいと思って『狂気の歴史』を読んでみるものの、ますます分からなくなるばかりだ。




しかしそんなこと知っていなくても生きてはいける。というか知らなくても生きていけるからなかなか理解できないのか。知らなければ生きていけないことは、おのずと理解できるもんだろう。

それでも、色んなことを知りたいと思う。そして知らなければならないように思う。


ある授業で
「言葉にないものは見えない。言葉の限界がその人の世界の限界」ということを言っていた。
言葉とは知識であると思う。

雨ひとつにしても五月雨、小雨、氷雨など色々な表現があるが、もしそれらの言葉を知らなければ雨はすべて雨ひとつにしか見えない。言葉があるからこそひとつの雨でも色々な様相に見える。


だからこそ、もっと多くの言葉や知識を得たいと思うし、それらを正確に理解したい。理解しなければ自分の世界が狭いまま終わってしまうようで怖い。



でもそれは正しいことだろうか。
サンテグジュペリが「ほんとうに大切なことは目にみえない」というようなことを言っていた。

本当に大切なことは心で感じることなんだとも思う。
雨という言葉しかしらなくても、その雨は多様な雨があることは心で感じれるし、その時々によって雨に動かされる心も違うだろう。それが自分自身分かっていればいいのではないだろうか。



とかいいつつやっぱり色んなことを知りたいよなあ。
2009/06/26(Fri) | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
小さいころからタイプは変わらんのか
土日は地元に帰って思いがけず楽しい日々だった。


本来の目的はある展覧会に行くってことだったんだが、まあそれだけじゃ面白くないので、俺が小1の頃から仲のいい先輩に連絡して土曜は飯を食いに行くことに。
そん人は去年まで東京にいたので、東京行ったときは必ず連絡しとったのだが、今年から地元に帰ってきてるので会いやすくなってうれしい限りだ。本当はもう一人呼ぶ予定だったのだが、試験前らしく出てこれなくて残念。

ほんで、その先輩がいきなり海を見たいと言い出したもんだから、飯をというよりもドライブにメインに。本当は温泉に行きたかったらしいのだが、俺が全力で拒否して難をのがれました。。
まあ小学校のときは毎週のように一緒に温泉いっとったけん今更って感じだけど。



小1から仲良くて、家族ぐるみの付き合いだけんこれまであんまり恋愛の話とかしたことなかったのだが、なぜか今回そういう話題になり、まあ先輩もそろそろ25歳といい歳なので結婚の話題に。

俺は別にカムとか一切していないのだが、

「のんちゃんは結婚とかしないんだろ。まあそれがいいかもね」っと言われた。


俺は小学校のとき先輩のこと好きだったというか、今でもええなーっと思ったりするのだけど、よく考えてみるとその先輩はまったく女らしくない。それに、一回俺の大学の友人がその先輩に会ったことあるのだが、そのとき「先輩って○○さん(俺の今好きな人)に似てるね」っと言っていた。
小さい頃から好みは変わらないんだな。

まあその先輩、高校の時付き合ってた人が俺が昔付き合ってた人の兄ちゃんだったりでその話で盛り上がった。俺は高校のときから知ってたけどねー。


いつかはカムしたいと思うけど、なんかここまで来るとカムしづらいのが問題だ。。
2009/06/16(Tue) | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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